手段が目的になった?勤務時間と幸せの関係

サーチマン佐藤です。
こんにちは。

先日のメルマガで、
「今後我々はどんな働き方をしたいのか?」を考え、
読者の皆さんにも、ご協力頂きましたね。

(本当にありがとうございます。)

そもそも、
そんな事を考えた直接のきっかけは、

政府の産業競争力会議で、
「労働時間管理を無くす」という話に対して、

厚生労働省は、
方向違いの議論をするし、

ある一部の(過激な)マスコミは、
「残業代ゼロで社員は奴隷になる」と騒ぎ、
議論の余地さえなくしていたから。

私としては、
「もっと根本的に考え、幸せになる方向があるのでは?」
と思うわけで、

今日は少し書き留めてみますので、
よかったら一緒に考えてくださいね。

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【労働基準法】そもそも、勤務時間は何なのか?
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どうも、なんというか、
厚生労働省やマスコミは、

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皆が正社員になって、解雇がなくなって、
1日8時間の勤務時間を守って、
残業したら、きっちり残業代が出る

—————–

そんな「社会」を目指していますね。

まあ、マスコミは意図的に騒いで、
売れればいいと思っているだけかもですが、

厚生労働省はマジで、
それが幸せと思っているフシもある。

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※ちなみに、以前のメルマガで、
そんな「社会」でいいのか?と問題提起しました。

派遣労働は3年で打ち切りの話と、本当の危機とは

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まあ、今までの常識やパラダイムからすると、
そういう方向性は当然だと思うし、

官僚は基本的には、
現状維持を望んでしまうので、

仕方がない面もあります。

でもね、
世の中がどんどん変わっているなかで、

変化しないで現状維持しようとすると、
無理がきて、

かえって人を不幸にしてしまう。
特に若い人が犠牲になる。

皮肉な結果になるんですね。

そこで、そもそも
「勤務時間とは何か?」
という所まで戻りたいのですが、

「勤務時間」という概念は、
日本ではせいぜい、ここ100年くらいです。

考えてみてください。

ちょっと前の日本人の多くは、農業やって、
お日様が出たら働いて、疲れたら休んで、
夜がきたら寝る。

そんな生活していたんですね。

当然、勤務時間なんてなかった。

でも、工業化社会になって、
工場で機械が動いて、生産ラインが作られて、

皆が一斉に同じ場所で働く必要性があって、
初めて勤務時間が生まれた。
(↑ここ重要)

結果として、
朝は一斉に集まる。
お昼は一斉に休む。
夕方は一斉に帰る。

夜だけ、ほんの少し自由時間があって、
それでも、なるべく早めに、
明日に備えて寝る。

それが出来ない奴は、駄目な奴。

そんな「労働倫理」が形成されたし、

一方で
工場法、労働基準法も作られ、
過酷な長時間労働も防止されるようになった。

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【整理】手段が目的になるとおかしな話に
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で、もう一回、
目的と手段を整理してみますが、

今までの目的は
「工業製品を大量に作る」ことで、

「勤務時間」は手段でした。

だからね、今でも「工業製品を作る」仕事には、
「勤務時間」の議論があって然るべきだし、
労働基準法も適用すべき。

でもね、我々の業界は、
工業製品を作るわけじゃない。

「ソフト」という知識を作るんでしょ。

目的が違うんですね。
(↑ここ重要)

だったら、どういう手段があるのか?
と考えるべきなんだけど、

すでに
「勤務時間」が目的になっていて、
「勤務時間」を守るためにはどうする?
という議論ばかりしている。

逆でしょ?!

例えば、
「勤務時間だから、会社にいなくちゃいけない」って、
当然のように言いますけど、

良く考えたら変な話で、

会社で無駄に拘束されることによって、
労働者は、無駄な時間を過ごさなくちゃいけないし、
経営者は、無駄なお金を払わなくちゃいけないわけで、

両方とも不幸。

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【先遣隊】人間の本能的な欲求への原点回帰
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我々は工場にいるわけではありません。
知識ワーカーです。

目的が違うのに、
今までと同じ労働倫理を押しつけたら、
無理が出ますよね。

今までの延長で、
いくら「勤務時間」を守っても、

成果が出るわけじゃないし、
労働者が必ずしも幸せになれない。

だとするなら、
相当に勇気がいることだけど、
知識ワーカーとして、
新しい労働倫理を作る時期にきているのでは?

その先遣隊は、
在宅で仕事したり独立している人。

脱藩した浪人が新しい時代を作った
明治維新と同じで、

会社を辞めたフリーターが
新しい時代を作るのかもしれない。

何故なら、彼らは既に答えを出しているから。

勤務時間なんて決めなくても、
一週間に一回集まって打ち合わせして、
普段はネットで連絡とって作業進めて、

いくらでも仕事をまわしている。

アナタの周りにもいるでしょ。

おそらく彼らの中では、

「勤務時間を守る」
という倫理観は全くなくて、

「効率的に仕事する」
という新しい倫理観が第一優先。

(自覚しているかどうかは知りませんが)

仕事自体は、
むしろ厳しいかもしれないけど、

そんな彼らが幸せそうに見えるのは、
スケジュールを自分でたてられるから。

多少の年収の違いがあっても、

朝起きて会社に拘束されて仕事するのと、
朝起きて自由に過ごしながら仕事するのと、

どっちが幸せでしょうか?

人類の歴史上、
「勤務時間を守る」という倫理観は、
たった100年です。

狩猟していた頃なんて、狩りが終われば、
あとはテキトーに遊んでいたわけで、

人間の本能的な欲求への原点回帰かもしれません。

そんな「問いかけ」さえしている気がします。

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【幸せ】勤務時間を減らして自由な時間
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今後の日本経済を考えた時、
アナタの給料が劇的に跳ね上がるなんてことは、
もうほとんどありません。

経営側にしたら、
人件費は抑えるしかない。

でもね、会社がアナタを
「無駄に拘束している時間」はいっぱいある。

その時間を解放することによって、
経営者側と労働者と、
お互いに利害が一致して
お互いが幸せになれる妥協点があるのではないでしょうか。

パラダイムを見直すのは、
面倒だし勇気がいること。

本来なら、厚生労働省やマスコミが、
そっちの議論をリードして欲しいのですが、
全く明後日の方向いているので、

我々が自覚して、
今後のIT業界の労働倫理を作っていく。

工業化社会時代の労働倫理を見直し、

自由な時間をどっと手に入れ、
趣味に費やしてもいいし、副業やってもいい。

ゼロベースで見直したら、
時間と言う原資は、まだまだありますし、

我々、技術者や知識ワーカーの幸せって、
(給料が増えなくても)
こっちの方向性で達成できる。

今後、それに備えて準備する方が、

マスコミの尻馬に乗って
後ろ向きの議論するよりは、

よっぽど前向きな気がします。

ではでは、今日はこの辺で。

またお会いしましょう。
ありがとうございました。

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